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    • 2014.10.02 Thursday
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    一定期間更新がないため広告を表示しています


    昭道館 合気道 天王寺支部 <健康クラス>開設。

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      〜壮年&熟年&主婦の皆さん〜

      10月3日(金)より、<健康クラス>開設致します。


      老いは気持ちから。気持ちは老いから。
      美容・健康・シェイプアップに。
      育児や日常家事でストレスを抱えられておられる方。

                                                 

      体力がない、運動なんか出来ないとあきらめていませんか。

      合気道は、あらゆる年代、体力に応じたプログラムで指導しております。
      特に、合気道<健康クラス>は、合気道本来の稽古を、より簡易化させ、
      高齢者や運動に自信のない方にも安全で楽しく参加出来る内容で行います。

      このHPを見られている方は、まだまだ動けられる積極的な方達でしょう。
      しかし何もしていなければ、想像以上の短期間で、体力は低下していきます。

      身体への運動努力が健康を生み、脳への刺激が気持ちを活性化させ
      年齢とは別な、<若さ>を保ち、<老い>との共生を目指します。

      また、短時間で効果的な美容効果・ダイエットなどを望まれている方には、
      武道による全身運動・新陳代謝を促す稽古は最適であり、日常生活のストレス
      をも発散し、アンチエイジングを生み出します。

      さらに、共通の目的意識を持った仲間とのコミュニケーションが、
      生活に活力をもたらせます。

      特に、武道としての集まりなので、<仁・礼・信・義・智>を念頭においた、
      礼節をもったお付き合いが前提となります。
      他のサークルやスポーツクラブに見られる、「なあなあ」的な馴れ合いの
      場とは、一味違う交流となります。※決して堅苦しくはございません。

      適度な運動と、技を修得する達成感、仲間との交流、情報交換の場として、
      <昭道館 合気道 健康クラス>を是非ご利用してみて下さい。



      金曜日  AM 10:00〜1100
             PM 1:00〜2:00
         ※見学・体験の方は、必ず事前にご連絡下さい。
           TEL.06-6773-0273 or 
      メールまで 

      詳しくは、下記HPまで。

      http://www.geocities.jp/sawk7sawk/aikido.htm



      有意義なセカンドライフを ○アンチエイジング ○健康維持 
      技を修得する達成感仲間とのコミュニケーション ○ストレス解消 
      ○シェイプアップに最適 ○護身術美容と健康 ○稽古以外のイベント
      ○共通世代の情報交換 ○そして、凛とした武道を。

      右手が前

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        以前に、右手が上と書いたが、この手の拘りの会話を、合気道の先生は大好きで、稽古後の飲み会で、この種の話題がよく上がる。

         

        先生曰く、エレベーターガールは左手で誘導させるため、重ねる手は左が上だと、おっしゃる。

        なるほど、そういう使い勝手もあるようだ。

         

        となると、エレベーターの操作盤が内部から向かって左にあれば、左でボタンを押し、右手で誘導するため、右手が上なのだろうか。

         

        いずれにしろ、それぞれの流派・技術・目的によって、変化する、というのが答えであろう。

         

         

        正座もしかりで、足の甲まで重ねる所もあれば、重ねない所もある。重ねるにしても、左が上か右が上か、技術や思想によって分かれる。

        また、親指のみ重ねる場合もある。男性は左親指が上、女性は右が上とかあるようだ。

        小笠原流の礼法でも親指を重ねている。

        合気道の先生が云われるには、親指を入れ替え、上下に重ね返せば、少しは足の痺れが緩和される、との事である。

         

         

        抜刀術の、とある流派は、抜く刀を右に持ち、右足を立膝に動かすので、右親指上で重ねるとも云う。やって頂ければ分かるが、左上では、右足を咄嗟に動かす事が出来ない。

        当道場では、空手・合気道共通の認識として、左右どちら側から攻撃して来る敵に対して、咄嗟に反応出来る形として、足を重ねず、指も重ねず、親指が付く程度の正座としている。

        当道場の医療関係に従事している黒帯も、身体の歪み改善、バランスから考えても、足の甲は重ねない方が良いですよ、との事だ。

        ちなみに、膝の間も閉じている所もあれば、拳二つ開ける所もある。急所を攻撃されないため閉じている、という考えもあれば、左右どちらから押されても崩れないため膝は広げる、という解釈もある。まさに、それぞれが正しい答えであろう。

         

         

        過去に一番長く正座をしたのが、30年以上前、大山倍達館長存命の頃、東京本部の三峰山冬合宿に参加した時の事である。(この時はまだ、総裁ではなく、館長と呼ばれておりました。)

        陽はまだ昇らず、吐く息が白くなる早朝、三峰山頂の神社にて、大山館長を筆頭に、参加者全員で正座し、祝詞を上げて頂いた時である。時間にして40分前後ぐらいであろうか。

        痺れを通り越し、足から完全に感覚がなくなるその辛さは、未だに記憶が残っている。

        最後に玉串を神前に捧げるのだが、大山館長始め高段者の師範方は、さすが平然と進むのだが、弐段、初段ぐらいになってくると、足がふらつく者、立てない者、立ち上がりはするが尻餅を突く者など続出となる

        すべて、朝食時の笑い話となるのだが、今はそんなに長時間は座らないと聞く。

        もともと、足に故障者の多い極真空手業界。正座をしても、直ぐに足を楽にして下さい、安座にして下さい、などと指示が入り、長時間の正座は少ない文化があり、半月板を三回、手術している自分は非常に助かる。

         

         

        対して、合気道の世界は実に正座が長く多い。(笑)

         

        師範が技の解説など延々とし始めると、その間、全員が正座をして聞く事となる。

        武道として、実に整然としており美しいのだが、膝がうずうずし始め、技どころではなくなる。

        膝をついた状態から、「膝行」など、膝をつきながら移動し技をかける事も多いので、正座には慣れておかなくてはいけないのだが、生来不作法なので、苦手な一つである。

         

         

        ついでに、武道の服装で「袴」があるが、この一見邪魔そうに見える着衣は、戦闘時に、相手に、足の立ち位置を悟らせないために存在する、という説もある。

        確かに、右構え、左構え、歩幅などを分かりづらくし、前隅、後隅を取らせないようにするには、もってこいかもしれない。

         

        案外昔の人は、正座をした時、「袴」の中で痺れる足を見えないように動かし、誤魔化していたのかも知れない。

         

         


        引き算の美学

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          日本文化の素晴らしさに、引き算の文化があります。
          算数の引き算ではなく、削ぎ落とす文化の事です。

          日本料理が分かり易い例かも知れません。
          日本料理の一つの特徴は、素材から、苦味やえぐみ、臭みなど余計な物を取り除き、素材本来が持つ旨さを際立たせる引き算の料理法なのです。

          反して、欧米の料理は、ソースを作り、素材にたっぷりとかけていく、足し算の料理法となります。



          ※もちろん、例外もありますが。
          また、日本の豊かで新鮮な農産物が、この素材を活かす調理法を生み、外国の多くは、素材の不味さを補うために生まれた調理方法という側面もあるのでしょう。

          武道も同じで、稽古での反復練習や確認作業は、余計な動き、力みやぎこちなさを省く事が一つの目的です。
          修練された技は、無駄な動きが一切なくなり、美しい形へと変化していきます。

          礼法を極めた方の立居振舞や、茶道などを極めた方の諸動作も、なめらかで、しなやかで美しい物腰です。

          『侘び』『寂び』などの思想も、ごてごてと付け足さない、飾らない、引き算の美学と云えるでしょう。


          強引な解釈をすれば、これがさらに禅などへ昇華し、心の迷いを取り除き、執着心を無くし、無心の境地へと繋がって行くのです。

          相手に一歩譲る謙譲や謙虚さ、質実剛健など、すべて引き算の美学から派生しているのかも知れません。

           

          左手が前

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            レストランやホテルの接客で、ホスト側の方が立っている時に、両手を重ねて待機しているケースがあります。この時、左手が上(前)か右手が上(前)か、というお話です。

             
            ※「コンス」という韓国式礼法の立ち方・お辞儀の形の話ではありません。韓国式礼法では、胸から下に広がるチマチョゴリという民族衣装を着ての礼法になるので、お辞儀をしたときに衣服が前に垂れ下がり見映えが良くないので、衣服を押さえるためにお腹の前で手を組み、お辞儀をします。
             
            しかし、日本の作法としては間違いです。
            日本の代表的な礼法の小笠原流では、立っているときは両手を下に下ろし、若干前方の腿に当てるのが正しく、礼をする時は、この手が腿の正面に移動させます。
            最近のビジネスマナーでこの辺りを混在しているケースがあります。
            お間違えのないように。


             
            さて、手の位置の話題ですが、空手の型を行うときの立ち方、立ち黙想の時、手刀にした両手を正中線上の下段に重ねて構えます。この時、左手が上にきます。

            これは、昔の律令制の様式、左大臣、右大臣に見られるように、左が上の位からくる慣習(時代によって変わったりもしますが)からなのか、日本人は右利きが多く、昔の武道家には、サウスポーの概念が少なく、大抵、左足前の左構えになっている所からくるものなのでしょうか。
            すなわち、左手は受け手。
            空手の基本的な動作は左手の受けの動作から入り、利き腕の右で攻撃する、という発想ゆえ、先に動かす左手が前(上)になっている、という解釈です。
            それ故、型の最初の動作も受けから入るものは左から動くのが多く、攻撃から入る型は、右側からの入りが多いかもしれません。
            検証すべきテーマです。

             
            ちなみに、左手が前なら、身体の構造上、足も左足が前になります。
            ※剣道は右足前の構え。これは本来、刀を左腰に差していたので、抜くときに必ず、右手を先に添えるので自ずと鍔元になり、利き腕の右手が上(前)になるので、これもまた、身体操法の関係上、右足が前になるのでしょう。


            先日、空手の道場生で、外食・ホテル業のグループ会社に携わっている方と、この話をしていましたら、はっきりとした答えを返してくれました。


             うちのグループでは、社員には必ず左手を前に置かせます。
             右手は攻撃の手、左手でそれを抑え、絶対にお客様には手を上げない、服従します、という意味付けで行っています、との事です。


            なるほど、明確な理由で諸動作を成立させているのだなと、感心したものです。
             
            日常生活に武道を活かし、根づかさなくては意味がないし、日常から武道の気づきを得なくては意味がありません。
             
            そんな点では、大変参考になり、改めて武道の奥行きの深さに身が引き締まる思いでした。
             


            黙 祷。

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              元陸軍少尉の小野田寛郎氏が、1月16日午後4時29分、亡くなられました。
              ご冥福をお祈り申し上げます。       押忍。

              スポーツマンシップと武術の心構えと武道精神の違い。

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                子供が、ディズニー映画の『カーズ』に嵌って大変です。

                録画しているのを一緒に見ざるを得ないのですが、すでに20回近くは見ています。
                『となりのトトロ』を50回は見させられていたので、こちらから卒業、という点では助かってはいますが。

                しかし、この『カーズ』。中々良く出来た映画で、ただの子供向けアニメと侮れないものがあります。

                そんな中の一つの場面。《ストーリーのネタバレ注意》
                クライマックスで、主人公がカーレースに勝てるにも関わらず、ゴール手前で急停止。事故によりレースから離脱した元チャンピオンの元に駆け寄り、気遣いながら後ろを押し一緒にゴールする、という件(くだり)があります。
                勝ちだけにこだわっていた自分勝手で生意気な主人公が成長して、仲間を思いやり、勝つことよりも大切なものに気がついた名場面です。
                優勝は逃すが、大観衆は拍手喝采です。

                レース後、本来なら、優勝した車のスポンサーになるはずだった大手企業の会長さんが歩み寄り、うちの会社と契約しないかと、話かけてきます。
                レースで負けたんですよ、という主人公に、「勝てばいい、というものではないんだよ、カーレースは」と微笑みます。


                そういえば、シルベスター・スターロンの『ロッキー・ザ・ファイナル』も、
                とっくに引退したロッキーが、ボクシングを少しなめている生意気な現役の最強チャンピオンと試合をするお話で、最終ラウンドまで激闘し、結果的には負けるのですが、試合に行くまでの生き様、その魂のこもった闘い方に観客は大興奮。
                リングで勝ち名乗りを上げるチャンピオンよりも、諦める事無く困難に立ち向かい、全力を出し切り、誇らしげに退場して行くロッキーに万雷の拍手を送る、という結末です。


                試合では負けたが、勝負では勝った、というロジックは、かつての<スポ根>漫画の巨匠、梶原一騎が『あしたのジョー』や『巨人の星』などで書き続けたテーマでもあります。


                共通していえるのは、スポーツはただ単に勝てば良い、というものではなく、その過程も大切であり、勝ち方も大切である、という考え方です。
                そしてこの部分こそ、スポーツの醍醐味である精神性、スポーツマンシップの一翼を担う美学でもあります。


                現実の世界でも、高校野球の甲子園で、善戦むなしく敗れてしまった球児達に、賞賛の拍手を送った経験は誰もが持っている事でしょう。



                しかし、勝負には、どんな手を使ってでも勝たなければ意味がない、という考え方もあります。
                 そして、これこそは武術における闘い方の本質でもあります。


                武術とスポーツの戦い方の差異がここに表れてくるのです。
                さらに難しい解釈をさせてしまうのが、武道という言葉であり、<武道の試合>の評価であります。


                1984年に行われたロサンゼルスオリンピックの柔道無差別級の山下泰裕とエジプトの柔道家ラシュワンとの金メダルを争う決勝戦。

                前回のモスクワオリンピックは、ソ連のアフガニスタン侵攻の政治的問題で日本やアメリカや数十カ国が出場をボイコット。全盛期に出場を見送らざるを得なかった山下選手にとっては悲願のオリンピック金メダルへの最後の挑戦となります。

                ところが、決勝前の試合で山下選手は右足を負傷。

                もともと、万全の状態で闘えば、その当時はまだまだ絶対王者の実力をもっていた世界の山下選手。圧倒的に有利な対戦だったのですが、足をひきずり試合場に上がる山下選手を見て、誰もがこれまでか、と思ったものです。

                ところが、ラシュワン選手は、その右足を攻めなかった。

                結果、山下選手が押さえ込みで一本勝ち、金メダル。ラシュワン選手は銀メダルとなりました。
                ちなみにラシュワン選手はこの事で、1984年の国際フェアプレー賞を受賞しました。


                不慮の怪我という困難を乗り越えて金メダルを獲得した山下選手。
                あえてそこを攻めずにフェアプレーで闘ったラシュワン選手。

                どちらにも賞賛なのでしょうが、人によってラシュワン選手のとった行動には賛否両論でした。


                勝ちにこだわるなら怪我した足を狙うべき。
                スポーツとしてフェアな闘いを選択すべき。


                どちらも正解でしょう。
                どちらも説得力のある論理であり、十分に納得出来る考え方です。

                評価の分かれる原因は、この<武道の試合>を、武術として捉えたか、スポーツとして捉えたか、という点です。


                まず、前提として、武道の試合には(柔道・空手・剣道・合気道・日本拳法・銃剣道・薙刀など)、大まかな概念が二つ存在する、という事です。
                スポーツ競技としての試合と武術としての試合です。



                この二つの概念の間で、安全で楽しむスポーツ寄りか、徹底して勝敗にこだわる武術寄りのルールであるか、という事です。
                (武術寄り、といっても法治国家の現代。まずはルールありきで、殺し合いをするわけではありませんが。)

                結局、各種目、各団体としてのイデオロギーは何かであり、参加選手の捉え方の差になってくるのです。


                オリンピックがらみでいえば、オリンピック参加スポーツとして「ボクシング」は、血を出さない、相手にダメージを与え過ぎない、という事で、ヘッドギアをつけ、スタンディングダウンをすぐにとるアマチュアボクシングルールが採用されており、プロボクシングのスタイルは否定されている訳です。

                プロボクシングや極真会館に代表されるフルコンタクトカラテルールの試合は、相手を倒すまで徹底して勝敗をつける武術寄り、という解釈になるのでしょう。
                実際、先に挙げた、相手が試合途中で負傷したのであるならば、プロボクシングや極真空手なら躊躇なくそこを攻めていくでしょう。
                だからといってそれは卑怯な行為ではなく、どのような状況でも勝たねばならない、倒し倒される武術性の高い競技だから、なのです。


                どちらにも存在意義はあるし、どちらの闘いぶりも、感動と共感を呼ぶ事でしょう。
                これが、試合における、スポーツマンシップと武術の心構えの違いです。


                次に、武術と武道の使い分けを説明しておきましょう。


                本来、存在していたのが武術です。それは殺傷や他を制圧する手段であり、その目的のためのみ体系付けられた術理でありました。

                やがて、武断主義から文治主義への時代背景。流派存続のための考え方、修行過程の積み重ねによる人徳への影響などが加味されて行き、精神性の重要性が問われるようになりました。

                武術はただの技術だけではなく、人格形成や人の道などを追求する精神性の要素を包括していき、武道へと昇華して行ったのです。

                そのため、武術は、本来は勝つためにはどの様な手段も辞さない殺戮の手段であったのですが、精神性が重要視され、勝ちに対する意識が変化する事となりました。


                勝負への美学が問われるようになったのです。


                時にそれはスポーツマンシップの意義と重なる時もあるし(正々堂々と闘う)、全く逆の意義を見せる時もあります(勝負が始まればどの様な手段も使う)。
                その千万変化の価値観こそ、武道ならではの、あらゆる状況への対応でもあるのです。
                しかし、それ故、不意打ちですら術理のひとつであった武術とは、一線を画した存在になっていったのです。


                自分が定義する武道とは、次の通りです。

                「武術の修行を通じて、人として、このように生きるべき、という思想であり、いかに生きるべきかを考えるときに、各個人の思想構築の基準となるものさし(道理)である」


                 
                スポーツと武術。
                スポーツマンシップと武道精神。
                 
                似通っていますが、否であり、お互い重なっている部分もあれば、まったく違う部分もあるわけです。
                 
                特にスポーツも、競技を追及していけば、物の捉え方、すなわち、人生観から捉えて行かなくては成長しなくなる時期がきます。そしてそれが、人格形成にも繋がっていきます。
                そうなれば、もはやスポーツ道です。
                 
                武術を追及していき、人として如何に生きるべきか、を模索する武道。
                スポーツを追及していき、人として如何に生きるべきか、を模索するスポーツ道。
                 
                 
                とはいえ、スポーツも武道も、最初は気楽に始めて下さい。
                続けて行く過程で、レクリエーションで終わるのも良し、『道』としての深淵な境地に嵌まり込むのも良し、と云ったところでしょう。
                どちらも楽しいですよ。
                 

                案内表示が気になります。

                0

                   駅や病院、大型のショッピングセンターなどで見かける案内表示が気になります。

                  上部に掲げられている看板ではなく、床にペイントやシールで、行き先などか案内されている表示形式のものです。

                  すなわち、足下にあり、文字を踏んでしまう事になるのですが、どうしても抵抗感や違和感を感じてしまいます。

                   

                  子供の時、本や新聞紙を跨いでも怒られたものです。


                  日本は、言霊の世界であり、言葉には魂が宿るといわれております。
                  おめでたい言葉や文字は喜ばれ、不吉な言葉や文字は忌み嫌われます。
                   

                  言葉を大切にする文化が、日本人の芳醇かつ繊細な感性を育んだ要因の一つでもあります。

                   

                  世界史的に観ても、文字という伝達媒体・記録媒体が発明されて、文明の発達が飛躍的に向上したと言えます。まさに文字は、世界文明史にとって偉大なる宝であり、日本文化を形成するに際しても欠くことの出来ない象徴であります。

                   

                  このような神聖な文字を踏んでしまう、という悪しき商業デザインはいかがなものでしょうか。


                  日本の伝統ある文化が蹂躙されていく気がします。
                  道徳が崩壊していきます。


                  心ある担当者は、即刻に撤去して頂きたいものです。
                  そして、気がつかれた方は、極力踏まぬ努力と、次世代に警鐘を与える好事例として、子供達に、言葉を大切にする心を教えてあげていきましょう。


                  強さとは?

                  0
                    極真会館 兵庫県・大阪南支部 天王寺・阿倍野・西成道場内で『極真ニュース』という季刊誌を出しておりました。(といってもA3二つ折りの簡単な物)
                    今後は、このブログや< 武学舎> HPがその代わりとなります。
                    そこで、記録として、過去のコラムを加筆・抜粋し、掲載いたします。
                    以下、第六号(2010年10月号)より。
                     
                    「強さとは?」
                     
                    空手を始める方は、ほとんどの人が<強さ>を求めて入門し、日常の稽古で自己鍛錬を行います。
                    では、<
                    強さ>とは、具体的にどういう事を指すのでしょうか?

                    ちなみに、強さを表現する言葉を羅列すると、

                    強力・強大・強豪・剛健・隆昌・物凄い・激烈・強烈・猛烈・矯激・不撓不屈激甚・烈火・激越・過激・丈夫・頑丈・強固・強靭・不壊・堅牢・金城鉄壁・確固・堅固・磐石・金剛・気丈・気丈夫・気骨・硬骨・反骨・気節・剛直・剛勇・剛毅・豪気・不抜・屈強・無敵・最強などなど。

                    なんだか、井上ひさし先生のようになってきましたが、きりがありません。これに頼りがいがある、とか、魅力がある、などの「強さ」を間接的に表現する言葉を入れ始めたらとんでもない量の言葉となります。
                    さすがに日本語は豊富な表現を持っています。


                    閑話休題。

                    自分が考える、極真空手に必要な<強さ>とは、以下の5つに集約されると思います。
                     
                    『組 手』  (基礎体力・武術に裏づけされた頑強さ。)
                     
                    『精神力』  (根性・忍耐力・胆力。何事にも挫けず、前向きに取り組む強い気持ち。相手を尊敬し、時に寛容し、包み込む     事ができる慈愛の気持ち。)
                     
                    『智 性』  (空手道等の知識を通して日常生活に役立たせる。機転がきくようになる。理論整然とした考え方ができるよう  になる。単なる博学な知識だけではなく、そこから得た情報より、知恵を働かせ俊敏に対処する力を培う。)
                     
                    『統率力』  (他人の気持ちを思いやる事ができ、リーダーシップがとれる。「公」「社会」「人」とのバランスを考える事
                    が出来る力。)

                     
                    『 心 』  (「はい、という素直な心」「すみません、という反省の心」「私がします、という奉仕の心」「おかげさま、
                    という謙虚な心」「ありがとう、という感謝の心」 すなわち、「押忍」の心です。)

                     

                    極真空手の黒帯は、この5つを習得するために修行を行っているといっても過言ではないでしょう。
                    また、どれか一つだけを修得し、他の部分が抜けていても意味がありません。
                    『組手』は強いが、礼儀はない、心が出来ていないでは話になりません。
                    ところが、武道は素晴らしいもので、極真空手の修行を真剣に積めば、肉体的な強さと精神・心の強さは、同時進行で比例して向上して行くものです。

                    だからこそ<武道>は、精神修行に最適なのです。
                     
                    <武道>の概念にも多くの解釈があり、いろいろと語りたいのですが、一つの考え方として、上記した5つの力を身につけ、さらに「五常の徳」すなわち、<仁・義・礼・智・信>へ発展・融合していき、人間力を鍛え、社会に貢献する、という大きな目的がある事は間違いありません。
                    ※「五条の徳」<仁・義・礼・智・信>は儒教の言葉ですが、儒教は、大陸から日本に渡り、悪い部分が削ぎ落とされ、良い部分が昇華され完成されたと見る事ができます。
                    その代表的な例がこの言葉であり、日本では、聖徳太子の冠位十二階においては、<仁・礼・信・義・智>の順番になっております。この順番の違いにこそ、日本文化の奥深い徳が隠されているのです。
                    このテーマについては、後日改めて、<儒教の功罪>としてコラムに書きます。
                     
                    ちなみに、自分の武道の定義は以下の通りです。

                    「武術を通して、人として、このように生きるべき、という思想であり、人として如何に生きるべきかを教え諭す、ものさし(道理)である」

                    あるいは、もっと判りやすく解釈するため、吉田松陰先生のこの言葉を紹介致します。

                    『学とは、人たる所以を学ぶなり』 (吉田松陰)
                    ※「学」を「武道」に置き換えてみて下さい。

                    まさに我々の目指すべき境地が、この言葉に集約されています。
                     

                    しかし、そのような黒帯を目指すためには、理論・理屈の、頭でっかちの世界だけでは意に満たず、当然、他人の魂を揺さぶる説得力は生まれてこないのです。
                     
                    <武道>としてのもう一つの側面は、限界への挑戦です。徹底した体力強化の過程は武道にとって必定なものです。時に理不尽といわれ、非常識といわれる体力バカの修行を経験してこそ得られる境地があり、それだからこそ、リアルに語られる世界なのです。

                    その一つの象徴が、極真空手の稽古であり、通過点の試金石として位置づけられている昇段組手、連続組手といえるでしょう。

                    過酷な連続組手は、肉体を苦しめ、体力を超えた気力、精神力の発動なくしては闘えません。
                     
                    天台宗総本山比叡山廷暦寺に、「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」という荒行がありますが、目指すべき世界は同じ事ではないでしょうか。
                    極真空手でいえば、連続組手の最高峰の試練、百人組手といった処でしょうか。

                    武道は動く禅である、と常々公言しておりますが、闊達した悟りの境地を窺うには、肉体を過酷な環境に放り込み、精神を活性化・昇華させるのが、どの分野でも共通した方法論として存在しているという事です。

                    そのためには一時的な修行より、日々の修行が何より大切である事は、同じくどの分野でも共通した至言として語られています。

                    空手でも同じ事。受審するまでの修行期間と審査当日までの、それに向けての長い稽古時間。全日本大会出場でもそうですが、実際、試合当日や審査当日の時間より、そこに行き着くまでの日常の稽古と精神力を持続させるモチベーションと苦労が何よりも大切なのです。

                    今回、初段十人、二段二十人組手という昇段審査、連続組手を、紺田、嶋田、高橋の3名が受審しました。

                    結果は三人とも完遂。見事に各々の昇段を果たしましたが、これからが真の帯の実力を付けてもらう段階です。

                    そして、それぞれが思い描く<強さ>を、どのように実現してくれるかが楽しみです。
                    昇段審査が終わると、東京本部に昇段レポートを提出します。


                    極真会館の機関誌『ワールド空手』に掲載されるのですが、ちょっと時間もかかるので、素晴らしい内容でしたので、次ページより掲載致します。
                    彼ら先輩達が、昇段に何を見、掴みとったか。そんな事が窺えるレポートです。


                    是非、皆さんも後に続いて下さい。
                     
                     

                    小野田さんに敬礼!

                    0
                      気がつけば、今年で51歳になる。51歳と云えば、このお方。
                      小野田寛郎さん。
                      太平洋戦争終戦から29年経った後、ルバング島から奇跡の帰還を遂げた元帝国陸軍少尉である。

                      フィリピン、ルバング島で、残置諜者(主力部隊が撤退した後、あるいは、終戦後も敵地に留まり、スパイ及びゲリラ活動を行う工作員)の任のもと、終戦直後も、任務解除の知らせが来なかったため、29年間に渡り現地にて三人の部下と戦い続けた陸軍士官である。帝国陸軍のスパイ学校としても有名な陸軍中野学校出身でもある。(三人の部下の内、一人は19506月投降、一人は195457日射殺され戦死、残る一人も19721019日射殺され戦死。小野田少尉は、この後、たった一人で孤独な戦いを行う。)

                      1974年、ルバング島で、発見され、日本、そして世界の情勢を知らされたものの、それでも任務遂行のため、投降をこばみ、当時の上官である谷口元少佐がじきじき島まで出向き、その上位下達を持ってようやく、任務解除、地元フィリピン軍に降伏を行ったのである。



                      この敬礼している写真は、その時のものであり、YouTubeなどで、今でも映像をみられるが、凛とした姿、気然とした態度は、過酷な年月を感じさせず、帝国軍人の凄さ、それどころか、かつての日本の侍の荘厳さすら想像させる、圧倒的存在感がある。

                      幕末時、諸外国は、日本の武士の立ち居振る舞い、教養と精神力に、得もいわれぬ感動と称賛を贈ったというが、こういう姿であったのであろう。

                      映像や画像でありながら、現在でも、一目見ただけで、本物の凄みを感じさせる説得力がある。
                      しかも、通常ではありえない状況下で、精神的におかしくなっても不思議ではないジャングル生活を行っていたにもかかわらずだ。
                      29年間一箇所には止まらず、毎日点々と移動する日々であった、という。しかも、ただ単に敵の目から逃れるだけでは駄目で、敵側を攪乱させるためにも、また、日本にもまだ、残置諜者の破壊工作員がいることを分からせるためにも、微妙な痕跡を残し、任務としての野戦を行い続けた、という。
                      銃弾の薬きょうも、通常なら使い物にならない年月にもかかわらず良好な状態に保存され、使用された武器もピカピカに磨き上げられ整備されていた、という。
                      野宿の中で、アリが耳の中に入ってきて、鼓膜を破られることもあるのだが、敵の気配が聞こえなくなるので、耳栓はしなかったと、後年、テレビのインタビューで笑いながら答えている。

                      テレビのインタビューと云えば、(これもYouTubeで見る事が可能です)、
                      ルバング島からの帰国後の会見で、多くの記者団から質問攻めにあい、一問一答、常に落ち着いた笑顔で会見をしていた小野田少尉が、思わず語気を荒げた場面があった。
                      「仲間が亡くなられてから、特に山を降りようと、仲間の死は大きな関係があったのでしょうか?」という質問だ。
                      質問者を鋭い眼光で睨め付け、身体を震わせ、「そんなのはむしろ逆さの方向です。」と答える。(今風の言い方に訳せば、それは全く逆です、という事)
                      「復讐心の方が大きくなりました。仲間が倒れた時の悔しさってありませんよ。男の性質、本性と申しますか、そういう自然の感情から云えば誰だって復讐心の方が大きくなるんじゃないですか!」
                      殺されたことにより、余計に覚悟も決まり、復讐しか出て来ない、と語気を荒げたのだ。
                      全身から、馬鹿な質問をするな、男として当然の選択肢だろう、という明確な意思表現である。

                      それは、軍国主義で洗脳された思想ではなく、あの当時、日本男子誰もが持っていた当然の意識なのである。
                      事実、後年のインタビューの中で、この時の感情をより詳しく語っている。
                      悲しかったのは間違いないし、申し訳ないという気持ちでいっぱいだったが、そんな感傷にひたっている暇はない。一人になってどう作戦を遂行するか、考え無くてはいけない。
                      二人でいた時はすべて百点満点ではなかった。二人でいた時は何か不都合な事はある。死んだ人間には悪いが、それを列挙していく。一人になれば、成る程デメリットは大きいが、一人ならではのメリットも出てくる。根本的にはマイナスなのだけれど、一人になって半分になったんじゃないと、自分に言い聞かせた。そうでもしないと明日から生きていけない。それを探し出し、最善の作戦・行動計画に修正を加えた、と実に前向きで力強い発言をしている。
                      そういえば、著作やインタビュー、講演の中でこんな言葉もある。

                      『済んだ事は済んだ事です。ぐずったってしょうがない。愚痴れば前に行く力が減るだけです。』

                      『自分では「どうすることもできない」と思っていることでも、本当は「どうにかしよう」としていないだけではないか』

                      『戦いは相手次第。生き様は自分次第。』

                      『生きることは夢や希望や目的をもつこと。それらは教えられたり強制されたりしても湧くものではない。自分で創り出すしかない。甘えてはいけません。』

                      彼の語録には説得力ある言葉が数多い。この異様な体験が人間力を鍛えさせたのか、この人間力があったから、あのような行動が出来たのか。
                      おそらく両方であろう。

                      ちなみに、母親もただものではない。
                      小野田少尉が出兵するさい、自分の指を傷つけ、日の丸に、血染めの文字で一死報国としたため、捕虜になったら、家名を汚すなと先祖伝来の短刀を渡した、という。

                      だが、腹を痛めたわが子を、冷徹に突き出せられる母親が何処にいよう。それでも気丈に送り出す母親の心中を察すると、涙が出てくる。

                      一部の左翼系マスコミ・文化人が、特攻隊などを揶揄して、本当は強制され、泣く泣く行かされたのだ、とか、興奮剤を飲んで無理矢理、気持ちを高ぶらせ行ったのだ、とか、天皇陛下万歳、など言う訳がない、死にたくないよ〜!と泣きながら突っ込んで行ったのだ、とか、軍国主義や男気を否定する流言を耳にするが、小野田少尉の一連の行動、言葉はそれらをすべて否定する。
                      (一部少人数はひょっとしてそうであったかも知れないが、どの世界にも特殊な例は存在する。その少数一部を切り取り、全体に当てはめるなど、言語道断である。)

                      好きで戦争している訳ではない。しかし、家族のため、国のため、覚悟を決めたら、とことん行動する矜持を持っていたのがこの時代の男なのである。日本兵なのである。

                      『私は戦場での三十年、生きる意味を真剣に考えた。
                      戦前、人々は命を惜しむなと教えられ死を覚悟して生きた。
                      戦後日本人は、何かを命がけでやる事を否定してしまった。
                      覚悟をしないで、生きられる時代はいい時代である。
                      だが、死を意識しない事で日本人は、生きる事をおろそかにしてしまってはいないだろうか。』

                      投降時、小野田少尉は、処刑される事を覚悟していた。
                      何といっても、終戦が正確に伝わっていなかったとはいえ、情報収集や諜報活動として、在比米軍に対し、島内にあった米軍基地への襲撃や狙撃、撹乱攻撃を百数十回も繰り返し、フィリピン警察軍、米軍兵士を30人以上殺傷していたのであるから。

                      しかし、フィリピン軍司令官は、降伏の意思で渡した軍刀をそのまま小野田少尉に返し、「軍隊における忠誠の見本」と絶賛。投降式に出席したマルコス大統領も「30年間よく戦いました。勇敢な軍人の模範であります。あなたの行動の全てを許します」と評し、フィリピン政府は、本来なら刑罰対象になってもおかしくない小野田少尉を取調べをする事無く無罪放免、恩赦にした。

                      この時の小野田少尉が51歳だったのである。

                      ちなみに、自分の寿命を60歳と決めていて、あと9年経って60歳になったら、レーダー基地に突入攻撃をして玉砕する覚悟だったという。

                      帝国軍人の覚悟の凄味、精神力をここに見たりであった。

                      小野田少尉の凄さは、帰国後からも続く。

                      天皇陛下との会見も、自分が勝手に潜伏した事、ご迷惑をおかけすると断り、皇居の外から深々とお辞儀し、臣下の礼を尽くし、政府からの見舞金、各地から寄せられた義援金全てを<靖国神社>に寄付した。

                      おもしろおかしく取材するマスコミ、軍国主義の権化と批判をする左翼系マスコミ・文化人、様変わりした日本に馴染めず、53才で次兄のいるブラジルへ渡り、友人から借りたお金で牧場開拓を始める。

                      脱サラなんてものではない。
                      脱軍人。しかも、浦島太郎状態の環境下からの転身。さらに年令は53才である。
                      どれだけの過酷な苦労をした事であろうか。しかし、今では、成田空港より広い土地で、1800頭の肉牛を育て牧場経営を軌道にのせている。
                      200412月には、約30年に渡るブラジルでの牧場経営の努力と地域社会への貢献度から、ブラジル南マットグロッソ州議会より、敬愛すべき日本人として、名誉州民賞も授与された。



                      経済的にゆとりが出てき始めた頃、ブラジルと日本を行き来し始める。

                      日本に目を向けさせたのは、1980年に起きた、親を撲殺した、金属バット事件、である。

                      なぜ、こんな事が起きたのか。
                      親や子供がしっかりしていれば、このような悲劇は起きないはず。
                      子供達が不幸にならない様に何かをしなくてはならない、という人としての当然の感情。
                      自分の生計が立てば、何かをしなくてはいけない、という自然な「公」への責任感。
                       
                      小野田さんにとって、当たり前の選択肢であったのかもしれない。

                      かつて、嫌気をさした日本ではあったが、地球が失くなるまで、自分の国がここにあって欲しい、という気持ちは変わらない。日本人の行末が気になり、子供達が不幸にならないよう、講演会や原稿の執筆に力を入れ始めた。

                      そして1984年には、日本の子供達にたくましさと協調性を身につけて欲しいと、専用のキャンプ場を持った小野田自然塾を福島県に設営。青少年及び一般人の野外活動指導を軸に、指導者及びボランティアの養成・心身障害者の野外活動の援助・青少年国際交流事業・研究会・講演会等随時開催している
                       
                      <「自然は最高の教師である」と先人は教えている。私も自然に教えられ助けられて、ルバングの島でもブラジルでも厳しい中を自分らしく生きてきた。
                      彼ら青少年達と自然の懐に飛び込んで、一緒に行動しよう、そうすれば彼らはきっと人間の本質に目覚め、自己を見つめて目的を持ち、逞しく生きられるようになると考えたからである。『小野田自然塾』HPより>


                      常に目標を明確に設定し、不撓不屈の精神で前向きに生きている小野田寛郎さん。
                      1922年生まれなので、現在90才である。
                       
                      平成23年の815日、靖国神社の戦没者追悼国民中央集会にて、小野田さんが追悼の言葉を述べているのを、YouTubeで見る事ができます。
                      矍鑠とした元気なお姿で、今の国を憂いられた発言内容には頭が下がります。
                      小野田さんの発言、活動、いや存在自体が、社会のため、まだまだ何も出来ていない自分への叱咤激励にもなっています。
                      少しでも近づける様に、努力精進させて頂きます。
                      いつまでもお元気でいて下さい。